2014年8月30日土曜日

Happy Birthday Michael!!! 2014(2)


現地時刻にあわせて、
もう一回言っちゃいます!

Happy Birthday
Michael!
We Love You!!!


We're all one!!!






ずっと好きだったけど、
THIS IS IT でのパフォーマンスが一番好きでした。。

Human Nature(THIS IS IT)







インドからのトリビュート!
KM Music conservatoryは『TII』にも出演予定だった
A.R.ラフマーンの財団の高等教育機関みたいなんだけど、、
PVも歌のメッセージにあってて秀逸です!











高画質なものに差し替えたいんだけど、、
History tour in Copenhagen August 29th,1997

(お誕生日のサプライズは25:53~)


“One of the best moments is right here,its right in the middle of the show and its my birthday,and I’m thousands of miles away from my family. When they surprised me with a full marching band and than they brought out a huge beautiful birthday cake…….I realized I’ve got family all over the world everywhere I go, cause my fans, really show me the love and I love them just as much.” - Michael Jackson 'Private Home Movie'

Keep The Faith!





2014年8月29日金曜日

Happy Birthday Michael!!! 2014(1)


Happy Birthday
Michael!
I Want You Back!!!




1969 TV Show




1972 TV Show



Favorite Dance Remix









Bad Tour Yokohama1987





Dangerous Tour Buenos Aires 1993
(映像は0:41~)




Royal Concert Live in Brunei 1996







HIStory Tour Munich 1997



HIStory Tour Gothenburg 1997



HIStory Tour Helsinki 1997




“I'll Be There” 

THIS IS IT







2014年8月14日木曜日

マイケルの56回目の誕生日を前に[6]愛する人が死んだとき・・・




私にとって、マイケルの死の衝撃は、彼のことだけでなく、自分を含む人間というものについて、深く考えるきっかけになりました。

愛はいとも簡単に憎しみへと変わり、真実は、それを判断する人間が何を信じているかによってまったく違って見え、正しいことを求める気持ちは、多くのとりかえしのつかない過ちを生む。

世界で一番たくさん「I Love You」と言ったMJは「僕は人を憎むことは絶対に教えない」と言っていたのに、大勢のファンがそれを守れなかったのはなぜなんだろう。そんなことを思っていたときに、たまたま読んでいた文章をメモしておきます。

内田樹『街場の読書論』
フロイト「トーテムとタブー」より省略して引用。

知性の切れ味というのは、平たく言えば、「誰かを知的に殺す武器としての性能の高さ」のことである。でも、その性能は、「知的にも、霊的にも、物理的にも、人を損なってはならない」という戒めとともにあるときに爆発的に向上するのである。

愛と憎悪と対になり、それと葛藤するときに深くなる。憎悪は愛と葛藤するときに深くなる。知性と愛の関係もそれと変わらない。学術性とは愛の深さのことだ。

自分の愛する親や子や配偶者の死を願っているという心的過程は「事実」としてあるのではない。死者に対する愛情が深いときにだけ強迫自責は起こる。死者に対する殺意などつゆほどもありそうにない関係に限って強迫自責は起こる。

たぶんこういうことではないかと思う。

愛する人が死んだとき、私たちは「もっと愛したい」と思う。「もっと愛しておけばよかった」と過去への悔悟はそのまま「もっとこの先も愛し続けたい」という未来への投企に読み替えられる。

そして、愛情を亢進させるもっとも効率のよい方法は、愛情と葛藤するものを呼び寄せることなのである。




「私には死者に対する無意識の殺意があった」という自責は私の死者に対する愛情と非妥協的に葛藤する。この自責に耐えるためには、私の死者に対する愛情をさらに高めるしかない。私はこんなにもあの人を愛していたし、現にこんな風に愛したし、死んだあとも愛し続ける。と「殺意」を否定するために、大量の心的エネルギーが「愛」に備給される。

奇妙な話だが、私たちは誰かに対する自分の愛情を高めるために、それと葛藤する心的過程(憎悪や嫉妬や殺意)を呼び寄せてしまうのである。

それと同じことが逆の行程でも起きる。殺意は愛情を亢進させる。学術性とは愛の深さのことだというのは「そういうこと」である。

人間の人間性を基礎付ける戒律が「神を愛しなさい」と「あなた自身を愛するように隣人を愛しなさい」の2つであることと同じである。

愛だけが人間のパフォーマンスを爆発的に向上させる。

むしろ、人類の始祖は知性と霊力と体力を爆発的に向上させるために「愛」という概念を発明したのかもしれない。ことの順序としてはその方が「ありそうな話」である。

(引用終了)




2014年8月8日金曜日

マイケルの56回目の誕生日を前に[5]Comeback Announcement


O2 arena in London,
March 5, 2009


変な髪型のうえに、
今まで見たことのないようなポーズ。
私はこのときのマイケルにひどく違和感を感じ、
奇妙な会見だと思った。





























でも、翌日子供たちと一緒に
ミュージカル『オリバー』を観に行ったときは、






色違いのシャツにジャケットを羽織り
報道陣にもみくちゃにされているにも関わらず
前日、全世界で放映されたアナウンスメントのときより
はるかに整ったヘアスタイルで
娘が人に自慢したくなるカッコいい父親のように見えた





マイケルはこのあとのプライヴェートでも
ヘアスタイルはすっとストレートのままで
リハーサルではしていたカーリーヘアを
本番までなかなか見せようとしなかった(*)





アナウンスメントのときも
こんな感じだったら良かったのにと
『THIS IS IT』後に思ったけど
インヴィンシブル以降のマイケルを調べているうちに
彼の「観客を未知の世界に連れて行こう」
という思いの真剣さがわかってきた。

それは今まで見たことのないステージ
という意味以上の
本当に「未知の世界」ということ。

彼のことを知っているつもりでも
未だにその凄さがわからない人のことは、
どんなに賢くても「無知」なんだと思う。

* * *  



(*)正確を記するために一応追記。
リハーサル中、カーリーヘアのMJに会ったファンもいます。
これは旅立ちより1ヶ月ほど前の写真です。

2014年8月6日水曜日

マイケルの56回目の誕生日を前に[4]アポロ11号とムーンウォーク





アポロ11号とマイケルのムーンウォークは、
結局どちらが人類にとって大きな一歩となったのか?

僕たちが小さいとき何にワクワクしたか思い出してみると、流線型の特急電車とか、ジェット機、ロケットといったものでした。その終着点として、人間の月面着陸という偉業があったんだと思うわけです。

しかし、そのスタイルは、アポロを境にして次第に説得力を持たなくなって行った。というのも、人工衛星というのは、そもそもそれに乗ってどこかに行くためのものではない。むしろ通信の時代を切り開いて行った存在です。人々が見たい、聞きたいコンテンツを地球のどこへでも届ける働き。冷戦終結には、これが大きかったわけです。

80年代までいくと、アメリカのポップ・パワーが共産圏を揺るがして、結局壁を壊してしまった。これをマイケルたちの偉業とは言えないにしても、歴史を前に進める「効果」としては甚大なものがあった...

つまり、世界の人の心に染み込んだのかという基準で考えてみると、マイケル・ジャクソンと言う存在は、世界史における支配的な力であったと言えるんじゃないか、ということを考えてみたわけです。





先鋭的なロックばかりを追ってきた僕らの世代にとってマイケルがあまり偉大とは考えられなかった要因というのがあると思うんですよ。マイケルの音楽の良し悪しというよりも、僕たちがロックを真面目に聞いていた頃には、視覚的なものを、音楽にとって邪魔なもの、音楽の良さを壊すものと考えていなかったでしょうか。

ロックとポップスでは、批評の基準がおのずと変わって来るでしょう。ロックの場合は作家性といった、音楽のロマンティシズムを連続した見方が可能だと思いますが、ポップあるいは、ポップスターは、結局、見ている人の視線が作るのだと。

つまり、その数が大きくなればなるほど、いいものができる。そのいい例がマイケル・ジャクソンだと思います。





ボブ・ディランが65年の会見で、「あなたは自分のことを歌手として見ていますか、詩人として見ていますか」と記者に聞かれたときに、「ソング&ダンスマンだ」と答えたことがありました。歌って踊れる芸人だと。

それがエレクトリック時代に入り、アリーナでアンプリファイされた音を通してやるようになったらどうなるか。本当に電気回路やメディアと合体した肉体を持つ、ソング&ダンスマン。それがマイケル・ジャクソンだったのではないかということです。






あるいは別な面から言えば、マイケル・ジャクソンの世界には、過去の伝統が滔々と流れ込んでいる。様式にしても、興行方法にしても。そうしたポップのメインストリームの伝統をそっくり引き受けながら、現代のメディアの中で、芸を演じる。逆に言えば、ポップ産業全体が、彼のようなアーティストを軸にして回転している。お金を生む機構に彼自身がなったと言っても同じです。

その中心に収まる人は、ある意味で、クリエイティブな思考をしてはいけなくて、ポップの法則になりきることが求められた。マイケルは非常に才能があって、若くて、フレキシブルだったから、そんなとてつもない要求に適応できてしまった…






その適応のスムースさは感嘆に値すると思うのですが、ロックファンからすると、彼の内にあるものが何も出てこない、という不満になります。うまくは言えませんが、僕たちが気持ちよく聴き過ごすポップミュージックというものが変わっていくためには、そういうフレキシブルというか、非常に柔らかい存在が自在の活躍をする必要があると思うわけです。マイケルはその仕事を10代、20代、30代とやり続けた人なのだなと感じます。

「自在」と言いましたが、それは自分を押し出すというのとは違って、むしろアイデンティティの消失に向かうような動きです。マイケルは結局、白人でも黒人でもないもの、大人でも子供でもないもの、とにかくリズムに合わせてキレさえ持っていればいいもの、そういうところに入り込んだ人なのかなと...


2009年8月臨時増刊号『現代思想』
Song and Dance Man ー マイケルと共に、世界は歌い、踊りはじめた
(佐藤良明+ピーター・バラカンによる対談から、佐藤氏が語った部分を抜粋して引用)

2014年8月3日日曜日

マイケルの56回目の誕生日を前に[2]僕は彼のためになら・・




6月26日、午前8時30分。中央線内、携帯でログインしたmixiのニュースから訃報を知る。友人に動転したメールを送った…







わたしたちは祈った。すべての人間に責任がある。

googleでは一時、彼の名前の検索が不能になった。何より驚いたのは、享年50歳という事実の非現実な響き。「人間以上の存在になりたい」という彼の、そしてわたしたちの欲求は、「Bad」「Dangerous」「Invincible」と続いた形容詞からも明らかだ。しかし、それにしても、痛恨の思いが残る…







7月。神田神保町の中華料理屋が、ひたすらジャクソン5を流している。I'll be There の歌い出しで、焼きそばが食えない。靖国通りと白山通りの角の薬局のスピーカーからは有線放送が、ディスクユニオンからは、Billie Jean の独特のベースラインが聞こえてくる。

マイケル・ジャクソンが踊ろうと誘っている。

僕は彼のためになら天国があるという方に全部賭ける。


臺 次郎(出版社勤務)
2009年8月臨時増刊号『現代思想』より抜粋










2014年8月1日金曜日

マイケルの56回目の誕生日を前に[1]Close to you




今日から8月。バースデーも近づいて参りましたが、
私にとっては『THIS IS IT』から5年が経ったという思いが強くて、、、
5年間ずっと追悼してきたつもりなのに、これまで以上に戸惑っています。
今月は、しばしば写経のつもりで、写真をアレンジしたりなどして、
心を落ち着かせようと思います。


* * *

ビリージーン
Jun-26-2009 菊地成孔

「言葉も無い」という慣用表現がありますが、おそらく生まれて初めて、その状態の中におります。それでもこうして、キーパンチは出来ると言う事実に、彼が生きた時代。つまり、多くの消費者が皆キーパンチによって言葉を吐き出していなかった時代への、追慕ばかりが駆け巡ります。ワタシは今、端的に申し上げて、泣いています。慟哭が止まりません。どうしたら止まるかも解りません。世界中の人々とともに、総ての宗教的な領域を超えて、共に喪に服そうとおもいます。21世紀が本当にやって来ました。

<2時間後の追記>

 本当になにもかも出来なくなってしまいました。これはきっと、(まだ生きていたとしたら)ケネスアンガーも、秋山成勲も、Will A,Mも、ハーモニー・コリンも、ジャービス・コッカーも、リズ・テーラーも、彼の事を知っている人々はみなおなじでしょう。ワタシは彼の事を知っています。誰もが知っている事とおなじことを。すべて。

 訃報を聞いてから鳴り出し、未だに頭の中でずっと鳴り続けている曲の歌詞を、写経の代わりに書き写し、頭の中で訳されている日本語も書き写してみました。1970年に、全米で1位になった曲です。もしこれが選曲行為であるとするならば、ワタシは故人にこの曲を捧げます。記憶違い、訳し間違いの指摘はご容赦下さい。




(Thy long to be)Close to you


Why do birds
Suddenly appear?
Everytime You are near

あなたがあたしの隣にいるとき
気がつくといつも小鳥たちがいるね

Just like me
Thy long to be
Close to you

そうか あたしとおんなじだね
あなたのそばにいたいんだね

Why do some
fall down from the Sky?
Everytime You walk by

あなたがあたしの前を通りすぎるとき
いつも空から
星が降って来るね

Just like me
Thy long to be
Close to you

そうだ あたしとおんなじだね
星だってあなたのそばにいたいんだね




On the day that you are born
The angels got together and decided
To create a dream come true
So they sprinkled moondust in your hair
And golden starlight in your eyes of blue

きっとあなたが生まれた日は
天使たちがみんな集って 彼等の夢を叶える事にしたのよ
それであなたのブロンズの髪には星屑を
蒼い目には星のきらめきを散りばめたんだわ

That is Why
All the girls go down
Follow you all around

だから
当たり前よね
この町の女の子がみんな
憧れのあなたを追いかけまわすのは

Just like me
They long to be
Close to you

あたしとおなじだね
みんな 憧れのあなたのそばにいたいのよ
 
woo Close to you
woo Close to you

みんながあなたのそばにいたい
みんながあなたのそばにいたい